昨日洗い物をしてる最中に不注意でお皿を上に落としてしまい、割れてしまった。
安物なんだけどもう何年もずっと使っていたのでだいぶ愛着もあり残念。
長年使ってきたから供養してあげなきゃね、と言ったら笑われた。
日本では針供養とか人形供養とか、物に魂が宿ると言う考え方が昔からあるのだから、茶碗にだって魂が宿ったって不思議じゃない。九十九神というほど長の年月は経っていないけど、そういう思い入れがあってもいいと思う。精霊信仰みたいなもんだね。
とは言っても供養するすべもなく、新しい茶碗が手に馴染む頃には私の記憶の中からもフェードアウトしてしまうような気がするので、思い出の残滓として、写真だけでもここに留めておく。
今までありがとう。