アナログとデジタルと

ちゃんと推敲できてないけど時間がないので要点だけ書きたいことを書いておく


マンガの生原稿の魅力 - FANTA-G - 楽天ブログ(Blog)
アナログ原稿にあってデジタル原稿にないもの。
質感、クオリア、…なにか違う。霊魂とでも言ったらよいだろうか?
そういうものがデジタルには欠けてるんだろうな。
血と汗の結晶とか心血を注ぐという表現があるけど、多分そういう大事な何かが浸み込んでいる。


データには霊魂は宿らないのか。
ジオブリーダーズのような世界も個人的には好きだけど。残念ながら現実には実現されなさそうだけど…
ああいう世界の中ではデジタル作品にも魂が宿るということもありうるのかもしれない。


デジタル化されたデータには容れ物がない。
モニタや紙に投影しないと作品として鑑賞できない。そしてビューワやブラウザ、プリンタなどの助けがなければ、データは無価値で無意味な0と1の集合体に過ぎない。
結局は(モノとしての)アナログのくびきからは逃れられないのだ。いずれ脳に直接電極で感覚を送り込むような、そんな世界が来るまでは。


全然ジャンルの違う話だが、別の観点から示唆を与えてくれた。
書物にならない知: やまもも書斎記
最終的に鑑賞する対象としての「作品」はアナログでもデジタルでも作ることが出来る。しかし「作品を作るという行為」あるいは「作品を鑑賞するという行為」自体も作品の一部。下書きの裏写りだったり、消しゴムの消し跡だったり、紙の微妙な皺だったり、最終的に鑑賞する対象には残らない様々な隠された属性、しかしアナログ原稿ならその生々しさが感じられる、それがアナログ作品ならではの、そしてデジタルでは表現し得ない特徴なのかも。
統合前のPSDが残ってればいいとか、描画ログが残ってればいいとか、そういう話ではない。全然違う。


さらに別のネタ
紙の本が100%亡くなると断言できる、たった一つの理由 - 今週の天牌
匂い、(紙の)質感、手触り、色、外観、箔押しやインクのわずかな盛り上がりすら本というモノを構成する一部分。現時点の技術ではそういったものをデジタル化するのは不可能で、それら一切合財無視してテキスト情報だけを取り出してデジタル化だ、本の代替だなどというのはばかばかしいにも程がある。文字の書体、字形、字体にしてもそう。テキスト情報化することによって個々の文字の多様性が失われるのでは意味が無い。印刷されたものを画像化すれば文字の属性はある程度再現可能だけど、それは印刷を前提にしているのであって、印刷の結果としての本の存在を100%斥けることができていない。


きっとこの人は遊び心が足りないんだと思う。表紙と本文の間にある(通常は)何も印刷されていない紙のことを遊び紙という。これはデジタル化できるかな?
同人誌とかだと本当に「遊び」心で入れたり、装丁の美しさとか、そこには単なる「(デジタル化可能な)情報」を超えた何かがあると思うんだよね。凝った本だと特殊紙を使ったり、トレペで透けるようにしてたり、エンボスだったり、切り抜き加工してあったり、作り手が楽しんで作っている思いが伝わってくる。この「思い」のデジタル化は困難だと思う。


ちなみに女性作家は遊び紙を入れる傾向が高いような気がしている。これは男性向けを描いてる女性作家でも同じで、単なるジェンダー論にはしたくないけど、多分女性ならではのセンスとか細やかさの無意識の表れだと感じている。男性作家でももちろんいないわけではないけど、女性作家のほうが多いという感じ。こちらも頷くことしきりで参考になった。遊び紙/ 同人用語の基礎知識/ あそび紙


全部ジャンルは別だけど根っこは同じ。
もちろんデジタル媒体にもアナログ媒体を超えるメリットはあるけれども、完全にアナログの代替とはなりえないというのが現時点での印象。
仮想現実とかのテクノロジーが進めばある程度までの代替はできるようになるかもしれないけど100%の代替はありえない。


さてそろそろ明日のマップ作りに戻るか