葬儀


今日は朝一で葬儀。
おばあちゃんと最後のお別れ。死化粧をしたその顔は、今にも起き上がりそうなほど安らかな寝顔をしていた。涙が止まらなくなりそうで、直接顔に触れることはついに出来なかった。


その後、棺を霊柩車に乗せ斎場へ。そこからは事務的な進行。ロビーで最後に顔を見た後、そのまま火葬炉へ。昔は焼いた棺から直接お骨を取り出した記憶があるのですが(うろ覚え)、最近は職員がお骨を取り上げてひとまとめにした台の上から、骨壺にお骨を移動するだけなのですね…。生々しさが消えた一方で、より事務的な「儀式(作業)」になっているのが、良いのか悪いのか。


正直に言って、私は仏教徒ではないのですが、肉体は滅びても魂は滅びないというお坊さんのことばには非常に身に染みるものがありました。
私にとっての信仰である指輪物語の最終節(灰色港)が思い出されるのです。「一人で帰るよりも、三人いっしょに帰ったほうがまだましじゃろうと思ったのでな。では親愛なる友人たちよ、いよいよここなる大海の岸辺において、中つ国のわしらの仲間のえにしが終わることとなった。恙なく行かれよ!わしはいわぬ、泣くなとはな。すべての涙が悪しきものではないからじゃ」*1


そして宗教を問わず、葬儀という生者と死者を分かつ「儀式」は、心に区切りをつけるという意味において、大事だと改めて思うのです。
死者のための儀式であるのと同時に、残された生者のための儀式でもある。
そうして儀式を経て生者は日常へと帰って行く。




ちなみに斎場は某アニメの聖地・天覧山…の裏手にある広域飯能斎場。帰りがけに飯能市街を観光しようかとも思いましたが、喪主に家まで送ると勧められては断るわけにもいかず、断念。

*1:大海を渡って中つ国を去る=彼岸へ渡る=死とほぼ同義